2024年6月、日本の政界に激震が走った――元関東地方整備局長、斉藤博氏が、自民党を離党し、次期衆議院選挙に無所属で立候補する意向を明らかにした。斉藤氏はその政治理念を「政治の信頼回復」「霞が関と永田町の橋渡し役」「本気の地方創生」と明確に打ち出し、多くの政治関係者や有権者の注目を集めている。
この記事では、斉藤博氏が歩んできた長い官僚人生とともに、彼がどのような理念と覚悟をもって政界へ飛び込もうとしているのか、そしてそれが日本政治にとってどのような意味を持つのかを詳しく紐解いていく。
斉藤博氏は1959年、新潟県に生まれた。東京大学工学部を卒業後、1983年に建設省(現在の国土交通省)に入省。以来、道路行政、都市計画、災害対策といったインフラ行政の最前線で辣腕を振るってきた。特に、関東地方整備局長という「現場の司令塔」とも言えるポジションでは、都市インフラの老朽化対策や災害時の迅速な対応などに手腕を発揮。その温厚で誠実な人柄、部下に対する公平な接し方などで省内外から高い評価を受けた。
斉藤氏は2020年に定年退官。以後も、大学の客員教授として公共政策を講義する一方、日本の行政の在り方に強い問題意識を抱いてきた。「声を上げにくい地方の声をどう東京に届けるか」「現場を知る人材が国の意思決定に加われないもどかしさ」を痛感していたという。このような問題意識が、今回の政界進出の大きな動機になっている。
今回出馬を決意した選挙区は、斉藤氏の故郷・新潟である。新潟と言えば、近年過疎化や高齢化の進行が深刻化する典型的な地方都市の一つだ。若者の流出、交通インフラの老朽化、地場産業の衰退。そうした地域課題に対して、「国からおりてくる政策を待つ地方」ではなく、「地方から国を変える」という逆転の発想を持つ斉藤氏は、自らの経験を活かしたローカル・ファーストの政治を掲げる。
注目すべきは、自民党の公認を断って無所属での出馬を選んだ点だ。これまでも、多くの官僚出身者が政界に進出してきたが、その多くは与党の公認を得て立候補するのが一般的だった。しかし斉藤氏は、その枠にとらわれず、自らの信念と主張を真っ向から掲げることを選んだ。「組織の論理やしがらみから自由な立場で、有権者の声に真っすぐ向き合いたい」というのが彼の真意である。
無所属での選挙戦は当然ながら厳しい。既存の政党のような組織的な支援体制はなく、資金面、人的リソース、メディア露出など、あらゆる面でハンディキャップを背負うことになる。だが、その一方で「政治に本当に必要なのは党派ではなく人物だ」と考える有権者からは共感と期待の声も多い。SNS上でも「霞が関の“現場”を知る数少ない政治家の登場」「本当の意味での政策通」「利害から自由で一番国民に近い政治家」といった称賛が集まっている。
また、斉藤氏が訴える「霞が関と永田町の分断の解消」という視点は、近年の政治状況から考えても非常に重要だ。官僚による政策立案と、それを承認・実行する政治家の間に大きな断絶が生じているという指摘は以前から多く、斉藤氏のように行政の実務に携わりながらもその外側から政治を眺めてきた人物が「接着剤」になるという役割は、ますます必要性を増している。
特に2020年代以降、地方の疲弊、気候変動、災害の頻発、少子高齢化、そして官民の信頼関係の悪化など、日本は複合的な課題を抱えている。こうした「複雑で長期的な課題」を解決するためには、従来の政局中心の政治スタイルでは限界がある。斉藤氏が目指すのは、「政策を中身から作れる政治家」であり、そこにはこれまで彼が培ってきた現場主義と課題解決能力が根底にある。
また、斉藤氏は今回の決断にあたり、自身の家族とも何度も話し合ったという。長年にわたり公務員として安定した人生を築いてきた彼が、この安寧を捨てて新たな挑戦に踏み出すことには並々ならぬ覚悟がある。記者会見では「今、日本には一歩踏み出す政治家が必要だ。私もその一人になりたい」と語り、その表情には確固たる決意が浮かんでいた。
この政治への挑戦が吉と出るか凶と出るか、それは有権者が決めることだ。しかし、斉藤博という一人の元官僚が、自らの信念を貫き、日本の未来を本気で憂えて立ち上がった事実は、いまの日本政治に一石を投じることになるだろう。
斉藤氏のような存在がこれからの国政にどのような波を起こしていくのか、注目すべき瞬間が今まさに始まろうとしている。