【太宰治賞作家・石井達昌氏が描く、「過去」と「現在」が交錯する新時代の文学──『機龍警察』作家・月村了衛との因縁と対話】
第40回太宰治賞を受賞した新人作家・石井達昌(いしい・たつまさ)氏が、早くも文壇に波紋を投げかけている。このたび注目を集めているのは、彼の受賞作『赤い月、廃駅の上に』の内容のみならず、その独自のバックグラウンド、そして選考委員として名を連ねた作家・月村了衛(つきむら・りょうえ)氏とのいわば“奇縁”とも呼べる関係だ。
石井氏は大阪府に生まれ育ち、現在は証券会社に勤務しながら創作活動を行っているサラリーマン作家だ。中学時代から小説を書き始めるも、大学卒業後は執筆から離れ、その後10年近く経ってから再び執筆活動を再開したという。彼の受賞作『赤い月、廃駅の上に』は、鬱屈した社会の中で希望を探す3人の若者を描いた群像劇であり、舞台は廃れたローカル線の無人駅。時代のはざまで揺れる若者たちの心情を、詩的な言語感覚と構造的な構成で巧みに描き切った。
この作品の特徴は、昭和後期から令和に至るまでの日本社会に対する静かな視座だ。地方の空洞化、家族制度の変容、SNSによって希薄になった人間関係──石井氏は社会をただなぞるのではなく、そこに息づく「生の実感」を描こうとする。特に印象的なのは、廃駅という空間が、小説の中で「過去」に取り残された象徴であると同時に、「未来」に向けての解放の象徴として扱われている点だ。
また、これまでの太宰治賞受賞作には比較的珍しい、理知的な構成と適度に抑制されたエモーショナルな運びが強く評価された。審査委員の一人である作家・角田光代氏は、「ある種の清潔さを持って、焦らずに秩序正しい文章で読者を作品の核心に導く技術がある」と評した。作家としての「完成度」に加え、文学に向き合う真摯な姿勢、それが石井作品の魅力の核心だ。
しかし、今回の受賞にはもう一つ、文壇では注目を集める理由があった。それは、選考委員の一人である月村了衛氏が過去に石井氏を酷評したというエピソードに関連する。月村氏は2010年代に開催された文学賞にて、応募された石井氏の小説について厳しい評価を下していたのだ。月村氏はこのことを、今回の選評として寄せた文章の中でもあえて触れている。
月村氏は現在、作家・脚本家として幅広い分野で活躍する実力派。『土漠の花』や『機龍警察』シリーズで知られ、スリリングかつ社会的なテーマを重厚な筆致で描く作風に定評がある。その彼が、石井氏の今回の作品には「10年の時間が、これほどまで人の筆を成長させるということか」と驚愕のコメントを寄せた。
この事実が公になったことにより、一部の文学愛好者や読者の間では、「まるで一篇の物語のようだ」と話題になっている。作家志望者の多くが直面する“冷酷な現実”とも言える落選が、10年という時間を経て、同じ選考委員から今度は「文句なしの称賛」として評価を受けるという流れは、日本文学界では極めて稀なことだ。
石井氏自身も、太宰治賞のニュースに際してインタビューでこう語っている。
「もちろんあの時の言葉は耳に残っています。でも、それが自分の筆を止めたわけではありません。むしろ、もっと深く、もっと痛みのある言葉を書かなければならないと思いました」
文学において評価はつねに流動的であり、必ずしも才能を短期的に証明するものではない。石井氏の姿勢は、あらゆるクリエイターにとって一種の希望といえるのではないだろうか。冷静な視座と情熱、それが10年という時間の中で彼の根となり、やがて幹となり、今、ようやくその花を咲かせ始めたのだ。
一方、月村氏もまた、選考委員として誠実で公正な姿勢を貫いたことが際立つ。「かつて酷評した経緯があるから今回は推さない」といった私情を一切交えず、作品本位で推薦をしたことからも、彼の文学に対する信念を深く感じさせる。彼自身も数々の苦難を乗り越え、映像業界から小説界へ転身し、今では日本のエンタメ小説の第一人者とも言われている。その彼が認めた「成長」とは、文壇におけるひとつの到達点でもある。
太宰治賞がこれほど人間ドラマとして注目されたことは稀だろう。そして、それが文学の持つもう一つの側面、つまり「現実を物語にする力」を如実に示している。小説が単なるフィクションではなく、書き手そのものの人生とも地続きであることを、石井氏と月村氏の間に起きた“時間を超えた対話”は証明してみせた。
これから石井達昌氏がどんな作品を世に送り出していくのか、大いに期待される。彼の筆にあるのは、ありふれた日常の向こう側にある「もう一つの真実」だ。それは、誰もが見過ごしてしまいがちな景色を照らす文学の光であり、読む者にまっすぐ届く誠実な声である。
時を越え、言葉が縁を結ぶ──。令和の文学にまた一人、注視すべき才能が誕生した。