2024年6月、芸能界に大きな衝撃が走った。俳優・山田孝之が主演を務め、2023年に劇場公開された映画『唄う六人の女』の制作に携わった撮影スタッフの一部が、50代の女性プロデューサーから長期にわたりパワーハラスメントを受けていたことが発覚したのだ。この事実はスタッフの一部がSNS上で告発し、映画制作会社である「共同映画」と製作に関与した複数の団体が調査に乗り出したことで明るみに出た。本稿では、この騒動の経緯と問題の核心に迫りつつ、映画の制作・出演陣の背景と、とりわけ主演の山田孝之がこれまで築いてきた独自のキャリアについて振り返ることで、この映画が持つ意味、そして今回のパワハラ問題の社会的背景を探っていきたい。
『唄う六人の女』は、山田孝之が主演を務めた話題作で、文化庁からの支援を受けて制作された。映画は幻想と現実が交錯するようなミステリアスな筋立てを持ち、映像美も高く評価された。しかし、その裏側で、スタッフが「撮影中に休みも与えられず、言葉による叱責や人格否定に長期間さらされていた」というパワーハラスメントを受けていたと訴えている。加害者とされるのはサポートプロデューサーという立場の中年女性で、彼女がその権限を利用してスタッフへの執拗な指導を行っていたという。この女性については詳細が明かされておらず、今後の調査で新たな事実が明らかになる可能性があるという。
この問題を告発したのは、映画のスタッフの一部だ。匿名を条件に幾人かがメディア取材に応じ、「連日の長時間労働、罵倒、納期への無理な要求」があったことを証言している。「最初は情熱的に仕事をしてくれる人だと思っていたが、徐々に誰も付いていけなくなり、恐怖政治のようになっていた」との声もある。これに対し、映画制作に携わった「共同映画」は「事実関係を把握していない」としつつも、第三者委員会による調査の実施を決定。一方、文化庁は「事業終了後の調査に関しても適切に対応する」との意向を示しており、この問題が今後の文化支援事業全体に与える影響も指摘されている。
このような状況の中で、主演を務めた山田孝之の名が注目を集めている。山田は、映画制作におけるクリエイティブな視点だけでなく、製作にも携わるなど多角的な活動をしており、今回も「製作協力」という立場に名を連ねていた。果たして、彼はこの状況をどのように受け止めているのだろうか。
山田孝之は1983年、鹿児島県で生まれた。1999年、テレビドラマ『サイコメトラーEIJI2』(日本テレビ)で俳優デビューを果たし、以後2003年の映画『電車男』で一躍注目を集めると、以降はシリアスからコメディまで幅広いジャンルで活躍してきた。特に、映画『クローズZERO』シリーズ、『十三人の刺客』、さらにはNetflixドラマ『全裸監督』では、役になりきる驚異的な演技力と作品ごとの徹底した役作りで、新たな「カメレオン俳優」としての地位を築いてきた。
だが一方で、山田は商業作品にとどまらず、インディーズ映画のプロデュースや脚本も手がけており、2016年には小栗旬らと共に映画製作会社「Namy&」を設立。独自の美学を持って「現場第一主義」を掲げていることでも知られている。その山田が関与した今回の『唄う六人の女』で、スタッフの苦しみを誰一人顧みられなかったのかという疑問は、彼自身の信条との関係でも重い問いを投げかけている。
もちろん、山田がパワハラ行為に直接関与していたかどうかは、現時点では明らかになっておらず、「製作協力」の立場としてどの程度の関与があったのかは分かっていない。しかし、彼のように業界において影響力を持ち、若手クリエイターたちからも信頼の厚い俳優・プロデューサーが関わった作品で、このような事態が起きたという事実自体が、映画業界の構造的な問題を静かに浮き彫りにしている。
映画業界における過酷な労働環境は、これまでも度々問題視されてきた。低予算、短納期、限られたスタッフ数、そして過労と精神的負担—それらが常態化する中で、圧力や立場の差によって不公正が見逃される構造が存在している。制作サイドに立つ一部の人間による「情熱ゆえの過剰な要求」は、時にパワーハラスメントと紙一重の危うさを持っており、今回の『唄う六人の女』騒動は、その最たるケースともいえるだろう。
だからこそ、この問題は単なる一つの作品の現場の問題ではなく、より広い産業としての「映画界」の課題として捉えるべきだ。映像を愛するすべての者たち—俳優、監督、スタッフ、観客まで含めて—が、魅力的な作品を生み出すための健全な土壌とは何なのか。その問いへの取り組みが、今強く求められている。
山田孝之自身、さまざまな挫折や葛藤を経て、個性的な活躍の場を切り拓いてきたキャリアがあるだけに、今回の事態をただのスキャンダルとして終わらせるのではなく、業界の改善に向けた契機として何らかのアクションを期待する声も高まっている。
今後、第三者委員会の調査結果、ならびに関係者による対応が注目されるが、問題の再発防止はもちろんのこと、よりクリエイティブで人間的な映画制作のあり方を模索するために、業界全体の意識改革が求められている。情熱と労働が調和する現場でこそ、本物の芸術作品は生まれる。『唄う六人の女』という作品が、多くの議論とともにその在り方を問われることとなったこの瞬間こそ、映画界が変わるべき転換点なのかもしれない。