自民党・西田氏の「ひめゆり発言」について考える──歴史の記憶と現在をつなぐ言葉の重み
2024年6月、ある国会議員の発言が波紋を呼んでいます。発言主は、自民党所属の西田昌司参院議員。参議院憲法審査会において行われた「ひめゆり部隊」に関する発言が、大きな注目を集め、特に沖縄を中心とした多くの人びとから批判の声が上がっています。
この件について西田議員は、発言の撤回を求める声に対し、「撤回する理由がない」と明言しました。発言をそのまま維持する姿勢を示したこの対応に対して、遺族団体や沖縄の自治体関係者、そして一般市民を含め、多くの人が疑問や困惑を抱いています。
それでは、今回話題となった「ひめゆり発言」とは何だったのでしょうか。そして、なぜこの発言がこれほどまでに注目され、議論の的となっているのでしょうか。
ひめゆり学徒隊とは
西田氏の発言の前提となった「ひめゆり学徒隊」について、まずは簡単に振り返っておきましょう。
「ひめゆり学徒隊」とは、太平洋戦争末期の沖縄戦で日本陸軍の野戦病院に動員された、沖縄師範学校女子部および沖縄県立第一高等女学校の女子生徒と教師からなる学徒隊の愛称です。彼女たちは、戦局が悪化する中、十分な医療知識や訓練を持たないまま、負傷兵の看護や衛生作業などの任務に当たらされました。
1945年の沖縄戦は、民間人を含めた多くの犠牲者を出した激戦でした。中でも、ひめゆり学徒隊に所属していた約240人の女子生徒と教師のうち、123人が命を落としたとされています。その多くが、洞窟に追い詰められ、日本軍からの命令や状況の混乱の中で自決に追いやられました。
この痛ましい歴史は戦後、多くの証言や追悼活動を通じて記憶されており、沖縄戦の被害者の象徴として記憶されています。現在も糸満市にある「ひめゆりの塔」は、教育平和活動や戦争の悲惨さを伝える拠点として多くの人が訪れる場所となっています。
西田議員の発言内容と指摘された問題点
憲法審査会での西田議員の発言は、「彼女たちは自ら進んで野戦病院で日本軍を助けた」「自決した人もいたが、命を失ったのは自発的な行動だった」といった内容でした。この言葉に対して、「歴史認識の欠如」「被害者の生きた記憶を無視している」といった批判が寄せられました。
さらに、遺族や元学徒、そして沖縄戦を体験し生存した人々からは、「あの日の状況はそんな単純なものではなかった」「国家に従うしかない空気と指導があった」といった声が続々と上がっています。
遺族の心情に寄り添うことの重要性
戦争の悲劇を語るとき、発言のひと言ひと言には特別な配慮が求められます。それは単なる歴史的な事実の羅列ではなく、今も心の傷を抱える遺族や関係者がいるからです。
今回の西田議員の発言に対し、ひめゆり平和祈念資料館やひめゆり同窓会などの関係団体は、公式に抗議の意を表し、発言の撤回と謝罪を求めました。彼女たちにとって、沖縄戦の記憶は決して「過去の出来事」ではなく、今も心に深く刻まれ続けている「現在進行形の記憶」なのです。
また、この出来事は「戦争体験をどう語り継ぐか」という問題も浮き彫りにしました。語り部の高齢化が進んでいる今、その記憶は風化の危機に瀕しています。そうした中で、国会議員など社会的影響力を持つ立場の人が発する言葉は、歴史教育や社会全体の認識に与える影響も大きいのです。
言葉の持つ力と責任
政治家の発言は、常に公の記録として残ります。そして何より、社会に対してメッセージを発する強い力を持つものです。だからこそ、一つ一つの言葉には責任が伴います。
戦争や災害、あるいは人権に関わる問題に触れるとき、私たちは常に「誰の声に耳を傾けるのか」「どんな歴史を伝えたいのか」と自問しなければなりません。一人の発言が、今も癒えぬ痛みを抱えた多くの人々を再び傷つけることもあるという現実を、改めて知る必要があるのです。
「撤回する理由がない」という姿勢もまた、政治信条や発言の自由の文脈で理解しようとする声があるかもしれません。しかし、国民の代表としての立場を持つ以上、その自由は「無制限なもの」ではありません。他者への影響と歴史に対する敬意、この2点に基づいたコミュニケーションこそが、現代社会に求められる政治的なあり方であるべきです。
これから私たちにできること
私たち市民がこの出来事から学ぶべきことは、ただ単に非難や批判を繰り返すことではなく、記憶の継承の在り方や言葉の使い方について深く考えることです。
戦争の記憶を風化させないためには、教育現場だけでなく、日々の社会の中でその記憶が尊重される環境づくりが必要です。そして、政治家や公人が戦争の歴史に触れるときには、できるだけ多様な証言や文献に基づいて発言することが求められるでしょう。
また、国民一人ひとりが、こうした歴史問題について自ら学び、考え、意見を持つことも重要です。発言の是非をただ追及するのではなく、その背景にある歴史への理解を少しでも深めること。それが、二度と同じ悲劇を繰り返さないための第一歩となるはずです。
おわりに
西田議員の「ひめゆり発言」が示したのは、単なる一人の議員の意見ではなく、かつて起きた深い悲しみが今も社会的に癒されておらず、敏感な問題であるという事実です。戦争の負の歴史と向き合うためには、まずその痛みを正しく理解する姿勢が不可欠です。
私たちは今、自身が発する言葉の意味と影響力を改めて考える時代に生きています。そして、過去の教訓をどのように次世代へとつなげていくのか──その責任は、政治家だけでなく、社会全体に共有された課題であると言えるでしょう。
国会の場で語られた一つの言葉をきっかけに、多くの人が過去に思いを馳せ、未来への対話を始めることができるならば、それは決して無意味な出来事ではなかったはずです。記憶をつなぎ、痛みに寄り添うこと。それが、私たちにできる一番の平和への歩みです。