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草彅剛の背中を追い続けた20年――鈴木亮平が語る俳優人生の原点と『碁盤斬り』での運命の共演

俳優・鈴木亮平、”草彅剛の背中”を追い続けた20年――『碁盤斬り』で手にした感動の共演と、俳優人生の軌跡

2024年6月14日公開の映画『碁盤斬り』は、その重厚な人間ドラマと緊張感あふれる映像で、多くの映画ファンや時代劇ファンから注目を集めている。この作品において、草彅剛と共演する鈴木亮平が語った言葉がひときわ印象的だった。

「自分は、草彅さんの背中をずっと追ってきた。」

この発言に、多くの人が心を打たれた。なぜなら、それは一人の俳優が自身の道を模索しながら、尊敬する先人を目標に努力を重ね続けてきた20年の軌跡に他ならないからだ。

鈴木亮平という俳優は、2010年代に入って急速に注目を集めるようになった。彼の演技の幅は極めて広く、ときに繊細で愛嬌にあふれ、ときに狂気を秘めた役柄まで、振り幅のある演技を的確にこなすことで知られている。代表作には、ドラマ『天皇の料理番』やNHK大河ドラマ『西郷どん』がある。特に『西郷どん』では、西郷隆盛という複雑な人物を、若き日から老成するまで一人で演じ切り、大きな話題を呼んだ。体重を大きく増減させた徹底した役作りでも知られており、まさしく“役に人生を投じる”といった姿勢が、多くのファンに支持されてきた。

しかし、その鈴木亮平が「俳優としての基礎を作ってくれた存在」と語るのが、映画『碁盤斬り』で共演した草彅剛だった。

草彅剛といえば、かつてSMAPのメンバーとして国民的人気を博したアイドルでありながら、ソロになってからは観る者を静かに揺さぶる演技力で唯一無二の映画俳優としても確固たる地位を築いてきた人物だ。その演技は、言葉を多く語らずとも人物の深層を観客に感じさせる。「内面の陰影を静かに映す」という言葉が、彼の芝居を形容するのにふさわしい。

鈴木亮平は、俳優として駆け出しだった頃に舞台『蒲田行進曲』で草彅剛の芝居をみたという。当時、まだまだ演技というものを模索していた鈴木にとって、草彅の佇まいは「憧れというより、衝撃だった」と振り返る。何をするわけではない。それでも舞台上の草彅はそこに “居る”。その静謐さと存在感に圧倒された。

それがきっかけで、鈴木は草彅剛の出演する作品を片っ端から見るようになった。その芝居の機微、瞬間の息遣い、台詞への感情の乗せ方などを、自分なりに咀嚼し、消化しようと努力した。草彅剛のやった役の空気感を想像し、模倣し、そこに自分の色をのせる――それが鈴木にとって、俳優としての成長の原点でもあった。

数十年の時を重ね、ついに二人の共演が実現したのが、この『碁盤斬り』である。

本作は、将棋をテーマにした人情時代劇でありつつ、復讐と正義、誇りと贖罪といった重たい命題を心に深く投げかける作品になっている。草彅剛演じる主人公・柳田格之進は、冤罪によりすべてを奪われながらも娘のために生きる男。一方で鈴木亮平が演じる高木九郎兵衛は、格之進の過去を知る人物として物語のキーマンを担う。

この二人の演技のぶつかり合いは、まさに「長年その背中を見続けた者が、ようやく肩を並べて同じ舞台に立つ」瞬間だった。鈴木にとってそれは夢が叶ったというより、ひとつの到達点といえるだろう。そしてここが終着点ではないという確信も得た、と彼は語っている。

「現場では草彅さんの目を見ているだけで、心が自然に動きました。演技をする必要がなかったんです。僕がこれまで草彅さんから得てきたすべてが、この作品の中で噴き出したような気がしました。」

この発言は、まさに感動的だ。演じることに全てを懸けてきた男が、心から尊敬する相手と“呼吸を合わせる”瞬間を迎えたのだ。これほど幸福な俳優としての瞬間があるだろうか。

また、草彅剛にとっても鈴木亮平との共演は特別だったという。もはや師弟、先輩後輩という言葉では表せない、俳優対俳優の誠実な信頼関係が、映像の一瞬一瞬から伝わってくる。

『碁盤斬り』という作品は、表面的には時代劇の形式を借りているが、現代にも通じる人間の尊厳や正義について深く問いかけてくる。その中で草彅と鈴木という、世代は違えども信念をもって演じ続ける二人の俳優が火花を散らす。その姿は、ただの役者の共演ではない。日本映画界がいま、最も必要とする“真摯な芝居”のあり方を示しているのではないだろうか。

2024年、映画『碁盤斬り』は、名優たちによる静かで熱いぶつかり合いによって、日本映画史に新たな幕を開ける。それは20年間、ひたすら憧れを追い続けた男が、遂に肩を並べる瞬間でもあった。

鈴木亮平の目に映った草彅剛。その背中は、きっと今でも遥かに高く、遠い。
しかし、鈴木自身もまた、誰かにとっての“憧れの背中”となる時を迎えている。