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桐生祥秀、パリ五輪代表落選の衝撃とリレー新時代への転換点

2024年7月に開催されるパリ五輪を目前に控え、日本の陸上競技界が大いに揺れている。今回話題の中心にあるのは、男子4×100メートルリレー日本代表のチームメンバーの最終選考だ。特に注目されているのが、その代表入りを果たせなかった桐生祥秀選手の存在である。

桐生祥秀という名前は、日本の短距離陸上界では知らぬ者はいない。彼は2017年9月、男子100メートルで日本人初となる9秒台(9秒98)を記録し、その名を歴史に刻んだ。この記録は埼玉県で開催された日本学生対校選手権でのことであり、日本中が歓喜に沸いたのは記憶に新しい。1995年京都府生まれで、洛南高校から東洋大学を経て、2020年には日本生命所属になった桐生選手は、類まれなスピードと技術を武器に、長年にわたって日本短距離界を牽引してきた。

そんな桐生選手がパリ五輪のリレーメンバーから外れたというニュースは、陸上ファンはもちろん、一般のスポーツファンにも大きな驚きをもって迎えられた。日本代表のリレーは近年、2008年北京五輪で初の銅メダル、2016年リオデジャネイロ五輪では銀メダルを獲得するなど、着実に国際的な実績を残しており、その中で桐生選手も「侍スプリンター」の一人として中心的な役割を果たしてきた。

2024年の代表チームには、サニブラウン・アブデル・ハキーム選手、多田修平選手、小池祐貴選手、上山紘輝選手、坂井隆一郎選手、石川周造選手の6人が選出された。短距離の世界に詳しいファンなら、このメンバーが今の国内トップレベルの選手たちであることには異論はないだろう。

サニブラウン選手はアメリカ・フロリダ大学へ進学し、世界で戦うことを選んだ新世代の象徴。2019年の世界選手権では100メートルで日本人史上初の決勝進出を果たすなど、国際舞台でも存在感を示してきた。また、小池選手は東京五輪でのリレー4位入賞にも貢献し、ヨーロッパでプロ選手として活動している。

一方、桐生選手とともにリオ五輪・東京五輪のリレーメンバーとして名を連ねた山縣亮太選手やケンブリッジ飛鳥選手の名前が今回は見られないのも、時代の転換を象徴している。

ではなぜ、桐生選手が代表から外れたのか。日本陸連は「選考基準に則って決定した」と明言している。その中で特に重視されたのが、直近の個人100メートル成績である。桐生選手は今年6月の日本選手権で予選敗退し、リレーメンバー候補としても厳しい立場に置かれていた。また、「実戦でのリレー経験」と「今のパフォーマンス」を両立できる選手が優先されたという。

桐生選手はリレー種目において、バトンパスの達人として日本チームに安定感をもたらす存在でもあった。2016年リオ五輪の銀メダル時には、第2走者として力強い走りを見せ、アンカーへと繋ぐリズムを作る役割を果たした。過去の実績を考えれば、彼がリレーメンバーに再び名を連ねるに足る理由は多くある。

しかし選考は「今の総合力」を判断材料としており、過去ではなく現在の実力主義に徹したものだった。これは決して個を否定するものではなく、世界の強豪と戦う中で、0.01秒にこだわらなければいけないリレー種目の現実でもある。

それでも、桐生選手がここまで日本陸上界に貢献してきた功績は揺るがない。それは記録だけではなく、人としての姿勢にもある。2017年に9秒98を記録した際にも、彼は「自分ひとりの力ではない」と、指導者や支えてくれた人々への感謝を第一に口にした謙虚な姿勢で知られている。どんな時も黙々と努力を重ね、若手選手の良き手本としての役割も担ってきた。

桐生選手は今回の選考漏れについて、報道陣への直接のコメントは控えているが、自身のSNS上では真摯な姿勢を崩していない。今は次世代の日本スプリント界の星たちを応援する立場に回りながら、自らの技術や経験を後進に伝える道を模索している。

日本陸上界は今、大きな転換点に立っている。桐生祥秀という象徴的な存在が代表から外れたことは、多くのファンにとって寂しさを覚える出来事だが、それは決して彼の終わりを意味するものではない。

むしろ、ここから桐生選手がどんな道を歩むのかにも注目が集まる。彼のような存在が、引退後には指導者や解説、あるいはアスリート支援の立場として、再び陸上の現場に戻ってくることを望む声は多い。

パリ五輪でのリレー日本代表のチャレンジを心から期待するとともに、その舞台に立てなかった者たちの思いもまた、日本の陸上界のさらなる成長の糧になるだろう。今後も、桐生祥秀という名前が、日本陸上界の歴史の中で語り継がれていくことは間違いない。