ハリウッドのスーパースター、トム・クルーズ氏が日本で長年にわたって映画ファンに愛されてきた背景には、スクリーンの向こう側で活躍してきた名脇役とも言える人物の貢献がありました。その人物とは、映画字幕翻訳家の戸田奈津子氏です。2024年6月21日、トム・クルーズ氏が来日中の記者会見で戸田氏への深い感謝の念を語ったニュースが、多くの人々の心を打ちました。
トム・クルーズ氏の新作映画『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』のプロモーションで訪日した彼は、ファンや報道陣に向けて笑顔を見せつつも、真摯な表情で戸田氏への感謝の言葉を述べました。「奈津子さんは僕のことを日本の観客に届けてくれた」と語ったその言葉からは、長年にわたる映画と映画人の絆が感じられます。
戸田奈津子氏は、ハリウッド映画の公開においてその「言葉」を日本語に翻訳することで、日本の観客と映画の間を丁寧につないできました。誰もが知る大ヒット作品から、心温まるヒューマンドラマ、アクション超大作に至るまで実に数多くの字幕を手がけ、その中でもトム・クルーズ氏出演作は数多くを占めます。彼の代表作とも言える『トップガン』や『ミッション:インポッシブル』シリーズなど、戸田氏の翻訳によって多くの名セリフが日本語として視聴者の心に残り、それは今なお語り継がれています。
今回の来日においてトム・クルーズ氏が特に言及したのは、戸田氏の存在が彼の映画をより多くの日本人にとって「身近で親しみやすいもの」にしてくれたということ。映画というものは台詞や言語だけでなく、背景にある文化や感情、登場人物の心の動きまでもを伝える総合芸術です。翻訳はその根幹に関わる重要な役割を担っています。原語のニュアンスをできるだけ忠実に、かつ日本語らしい表現で観客に届ける作業は容易ではありません。その努力を怠らず、観客の立場に立って誠実に作品と向き合ってきた戸田奈津子氏の姿勢に、トム・クルーズ氏自身が深く感銘を受けていたのです。
注目すべきは、戸田氏とトム・クルーズ氏が築いてきた30年以上にわたる信頼関係です。字幕翻訳家としての一線を退いた戸田氏に対し、トム・クルーズ氏は「あなたが翻訳してくれたことで、僕の演技がより深く、日本の観客に届いた」と心からの賛辞を贈りました。こうした感謝の気持ちを公の場で率直に伝える姿勢は、彼の人柄の良さ、感謝の心を大切にしていることをも如実に物語っています。
今、映画の楽しみ方が多様化する時代において、吹き替え版の隆盛やAI翻訳技術の進歩など、「人の手による字幕翻訳」はかつてよりも目立たなくなっているかもしれません。しかし、それでもなお一つひとつの言葉に込められた翻訳者の想いが観客に伝わる時、観る人の心に映画が刻まれるのです。戸田奈津子氏の仕事はまさにその代表、そして象徴でした。
また、この出来事は私たちに改めて「翻訳」という仕事、特に映画における字幕翻訳の重要さを考えさせてくれます。例えば英語で発せられた一言が、日本語の字幕でどのように表現されるかによって、登場人物の印象やシーンの雰囲気が大きく変わることもあります。戸田氏はそこに長年向き合い、絶妙な日本語訳で映画という芸術をより身近に感じさせてくれたのです。
トム・クルーズ氏が語った感謝の言葉は、戸田奈津子氏ご本人に対してだけでなく、彼女を通して映画の楽しさを知ったすべての日本人観客に向けられたものでもあるでしょう。
「彼女の翻訳があったからこそ、僕のキャリアが日本で浸透した」
この言葉には、役者として一人でも多くの人の心に届きたいというトム・クルーズ氏の願いと、映画を愛する全ての人たちへの温かい思いが込められているようです。
戸田奈津子氏は現在は引退し、字幕翻訳の現場からは離れていますが、その功績はこれからも語り継がれることでしょう。彼女の積み上げてきた仕事は、映像文化を支える屋台骨であり、未来の映画制作者や翻訳者たちに大きな影響を与え続けるに違いありません。
それを確かなものにしたのが、トム・クルーズ氏による一言だったと言えるのではないでしょうか。日本とアメリカ、言葉と文化、映像と観客をつなぐ橋として、戸田奈津子氏の翻訳は数え切れない人々の心に刻まれています。そして、スクリーンの向こう側には必ず「届けようとする人たち」がいることを、私たちは忘れてはいけません。
映画という芸術は、創る人、演じる人、翻訳する人、そして観る人の想いが合わさって初めて完成します。戸田奈津子氏とトム・クルーズ氏の関係は、まさにそのことを象徴していました。
今後も彼の作品と共に、戸田氏の名訳が記憶の中で蘇り、より多くの人に映画本来の魅力を伝えていくことでしょう。