2024年6月現在、日本社会における「ジャニーズ事務所」改め「SMILE-UP.(スマイルアップ)」の問題は未だ大きな関心を集めている。かつて日本の芸能界に一大帝国を築き上げたジャニーズ事務所。その創業者である故・ジャニー喜多川氏に関する性加害問題は、今なお波紋を広げ続けている。そして、その中心にいるのが、元ジャニーズアイドルであり、タレント・俳優・司会者として国民的な知名度を誇る東山紀之氏である。
かつて少年隊のメンバーとして華々しい活躍を見せた東山氏は、2023年9月に設立された新法人「SMILE-UP.」の社長としてこの問題に向き合う立場に就任した。その役割は、性加害の被害者への補償を担う、新会社の運営である。だが、芸能マネジメント部門を除いた形で残された「補償会社」という位置づけに、国民からは厳しい視線が注がれてきた。
この記事で注目されたのは、6月20日に放送されたテレビ東京系「カンブリア宮殿」での東山紀之氏の出演である。今まで沈黙を守ってきたかに見えた彼が、ついにメディアの前で自らの考えを語ることで何が見えてきたのか。番組を通して明かされた東山氏の内面、そして彼が果たそうとしている役割は、多くの視聴者に深い印象を与えた。
東山紀之氏は1966年に神奈川県川崎市で生まれた。1979年、13歳の時にジャニーズ事務所に入所し、持ち前の端正なルックスとダンススキルで早くから注目を集めた。1985年には錦織一清氏、植草克秀氏らとともに「少年隊」としてデビュー。1986年に発売された「仮面舞踏会」は大ヒットを記録し、若者のアイコンとして時代の寵児となった。
彼のキャリアはアイドルにとどまらず、俳優としてもその実力を発揮。NHK大河ドラマ「琉球の風」では主演を務め、厳しい演技の世界でも実力派としての道を確立した。また、テレビ朝日の情報番組「サンデーLIVE!!」では長年にわたってMCを務めるなど、知的で落ち着いた雰囲気から報道系番組にも進出。その風格は、「ジャニーズの長兄」とも称されるほどである。
そんな東山氏が、かつて自身が輝いた場で起きていた長年の問題を清算し、再出発を図る役割を担うことになったのは、偶然ではない。自らも未成年時にジャニーズ事務所に在籍していたことから、被害者の心情を理解する立場でもある。「誰かがやらなければならない」と強く語るその姿勢からは、表面的な謝罪ではなく、内面からこの問題を受け止めようとする覚悟が伺えた。
今回の番組では、旧ジャニーズ事務所時代の秘話や、解散・改組への決断の裏側も語られた。特に印象的だったのは、東山氏が語った「精神的にギリギリの状態だった」という言葉だ。出演者としても、社長という経営者としても重責を担う彼にとって、報道される事実や被害者の証言、社会の批判、それに対してどう向き合うかという重い選択があった。
東山氏は、テレビの中で明言する。「今すぐ消えたいと思ったこともある」「それでも逃げるわけにはいかない」と。そして、「一人一人の被害者に誠実に向き合うことが、今の自分にできる責任だ」と語った。過去を帳消しにすることはできない、だからこそ向き合い、償い、再出発を果たす。その強い意志が、多くの視聴者に届いた瞬間であった。
また、番組後半では、今後の「SMILE-UP.」がどうあるべきかのビジョンも語られた。被害者への補償に実質的にどのように取り組むのか。第三者による審査と判断により補償が一件一件行われる手続きが紹介され、これは形式だけのものではなく、実際に多くの申請と認定が進んでいることが示された。
さらに、「SMILE-UP.」という名前が残ることへの違和感について東山氏はこう話した。「いつかこの会社が、被害者の方々から“本当にしっかり責任を果たしてくれた”と思われたその時に、『スマイルアップという名前でよかった』と思ってもらえる企業にしたい」。単なる企業名以上の意味を持たせたその言葉には、過去を反省し、未来を変えようという決意がにじんでいた。
ただし、理想を語るだけで終わらせてはいけない現実もある。いまだ多くの被害者が名乗りを上げる勇気を持てずにいる中、社会全体での支援と理解が必要とされている。芸能事務所という閉ざされた環境で起こった問題は、日本の社会構造や教育システム、そしてメディアのあり方にも問いを投げかけている。
東山紀之氏が直面しているのは、芸能事務所の危機管理だけでなく、日本の価値観や社会倫理を再構築する試みでもあるのだろう。「カンブリア宮殿」での彼の言葉、振る舞いからは、華やかな芸能界の裏にある深い責任と、真摯な覚悟が伝わってきた。
華やかな舞台の裏にあった苦しみを消し去ることはできない。しかし、その上に立って新たな未来を築く――それが、長年ジャニーズ事務所で活躍してきた東山紀之が、芸能人として、そして一人の人間として選んだ道である。私たちに求められているのは、この問題を風化させることなく、一人一人が当事者として関心を持ち続けることだ。そして、真の再出発を見届ける目を持つことなのだと、改めて考えさせられる。