2024年6月、公益財団法人「人権教育啓発推進センター」の理事に就任したことが議論を呼んでいる人物、谷上博之氏。彼は元暴力団員であり、過去に薬物所持や恐喝の罪で実刑判決を受け、服役経験を持っている。しかし、社会更生後は依存症リハビリ施設の設立や関西学院大学大学院での臨床教育学学位取得など、自らの過去を乗り越えようと真摯に社会活動に取り組んできた。その複雑な経歴と現在の社会的役割のギャップは、社会に多くの問いを投げかけている。
谷上氏は大阪出身。10代後半から地元の暴力団に関わり、その後、覚醒剤取締法違反や恐喝などで複数回の逮捕歴がある。特に2005年には恐喝事件で懲役6年の刑が確定し、服役中には薬物依存からの脱却に向けた取り組みも始めたとされる。釈放後の社会復帰は容易ではなかったが、彼は「人は変われることを証明したい」との思いから、自らの経験を活かせる道を模索しはじめた。
2013年には兵庫県西宮市で薬物依存症や元受刑者向けのリハビリ施設「アパリ関西(アジア太平洋薬物政策研究所)」を開設。ここでは回復支援や就労支援、社会復帰プログラムを展開し、多くの元受刑者たちの再出発の場となっている。その活動は行政や医療機関からも一定の評価を受け、多くの社会福祉関係者とも連携している。
また、谷上氏は2019年には関西学院大学大学院で「臨床教育学修士」を取得。教育学における専門的知識と、自らの経験を融合させた支援活動は、多くの教育者や心理専門家からも興味を持って注目されてきた。この頃から彼は、講演活動や各地の非営利組織との協働を通じて、「元暴力団員」「薬物依存者」であっても再び社会の一員として力強く生きられるというメッセージを発信してきた。
今回、彼が起用された「人権教育啓発推進センター」は、内閣府や文部科学省、法務省などから委託を受けて人権教育の普及啓発を担う公益財団法人である。その理事に元暴力団員という過去を持つ谷上氏が就任するという事実は、多くのメディアでも報じられ、一部では波紋を呼んでいる。
就任に対しては、当然ながら様々な意見が寄せられている。あるメディアの報道によれば、「過去の犯罪歴を持つ人物が公的な人権教育の立場に立つのは相応しくない」という批判的な声もある。しかし一方で、多くの更生支援に関わる専門家や法学者、福祉関係者からは「彼の実体験こそが人権教育に不可欠だ」といった擁護の声も上がっている。
人権とは何か。他者を裁いたり排除したりするのでなく、背景や過去の事情も含めて一人ひとりを尊重する。その理念に照らすとき、谷上氏の歩み、そして今後の活動には、単なる「更生者の成功例」という枠を超えた社会的な意味がある。
筆者が注目したのは、この就任劇そのものが、日本社会の「社会的包摂」に対する理解度や実践力を試すリトマステストになっている点だ。彼が理事として果たすべき役割は、過去を問われることではなく、今と未来へと向けた希望の構築である。薬物依存や反社会的組織との関わりは、社会の中でも非常に根深い課題であり、個人の意志だけでは克服が難しい部分もある。だからこそ、そうした背景を持ちながらも立ち直り、人権の最前線で働こうとする谷上氏の姿は、多くの人に「再チャレンジの可能性」を示している。
谷上氏は、「人権とは失敗をしても、やり直すチャンスを与えられることだ」と語っている。その姿勢は、多くの青少年や再出発をしようとする人たちへの力強いメッセージとなるだろう。
今回の人事を通じて問われているのは、単に一個人の経歴の是非ではない。私たち社会全体が、更生しようとする人々とどう向き合い、共に生きる道を許容していけるのか、という本質的な課題である。
谷上氏のこれからの働きが、日本における人権教育のあり方、そして社会的包摂に対する考え方をアップデートする一歩になることを願いたい。彼の歩んだキャリアと更生の道筋が、人権という普遍的な価値の下に、誰もが変わり得るし認められる社会の実現に寄与することを期待してやまない。