2024年4月、吉本新喜劇の重鎮・内場勝則さん(64)が惜しまれつつも同劇団を退団したというニュースが、全国のお茶の間に静かな衝撃を与えました。子どもからお年寄りまで、幅広い世代に親しまれてきた“新喜劇の顔”とも言える人物が舞台を去ることは、まさにひとつの時代の終わりを告げる出来事と言えるでしょう。
内場勝則さんは、新喜劇という大阪の土壌に根ざした舞台芸術の中心で活躍してきた名優であり、後身の育成にも積極的に取り組んできた偉大な喜劇役者です。そんな彼の突然とも言える退団の裏には、一体どのような想いと背景があったのでしょうか。本稿では、内場さんのこれまでの歩みと今回の退団劇の詳細、そして今後の展望について深く掘り下げていきたいと思います。
内場勝則という存在を語るには、まず彼の吉本新喜劇における功績を振り返らなければなりません。1959年、吉本興業がスタートしたこの新喜劇は、ざこばがいたり、岡八朗、花紀京、そして間寛平など、数々の名喜劇人が培ってきた笑いの伝統を紡いできました。そんな中で、内場さんは1984年に吉本新喜劇に入団。以降、約40年間にわたって客席を笑いの渦に巻き込み続けました。
内場さんが登場する場面では、息をのむようなボケとツッコミの応酬、そして緻密に作り込まれた「間」の妙技が観客の笑いをさらいます。その演技には長年積み重ねられた職人芸とも言える磨き上げられた技術が光っていました。例えば、「なんでやねん!」と一喝したかと思えば、直後にはしんみりとした情もにじむ台詞を織り交ぜ、観る者の心に深い余韻を残す――この絶妙なバランスが内場勝則という役者の真骨頂でした。
2006年からは新喜劇の座長に就任。その後8年間にわたりステージの中心に立ち続け、若い座員たちをまとめあげ、時代に即した新しい笑いと、受け継がれるべき大阪の「どつき漫才」的伝統との融合を図ってきました。「座長」とは名ばかりではなく、演出から脚本、演技指導までを一手に引き受けて舞台のクオリティを維持していく責任をも伴うポジションです。内場さんはその全てを誠実に、そして情熱を持って背負い続けました。
では、なぜ今このタイミングで退団を決意するに至ったのか。理由は、彼自身の口から語られました。それによると、内場さんはここ数年、体調面の不調や加齢に伴う疲労感を覚えていたと言います。今年64歳という年齢もあり、「舞台に穴をあけて申し訳ない」という気持ちに苛まれる日々が続いていたとのこと。そして何より、「全力で芝居に向き合えなくなったら、それはプロではない」という内場さんらしい責任感と矜持が、今回の退団という選択に繋がったのでした。
もちろん、これは“引退”を意味するものではありません。内場さんは新喜劇の舞台からは離れますが、今後はテレビや映画、さらには朗読劇や講演活動など、新たなフィールドでの挑戦を視野に入れているそうです。また、舞台俳優としての経験をもとにした後進の指導にも意欲を示しており、“育てる喜劇人”としての第2の人生を歩むことになりそうです。
さらに、伴侶であり吉本芸人でもある未知やすえさんとの二人三脚の公演など、夫婦ならではの温かさとユーモアを生かしたステージにも期待が寄せられています。内場さんと未知やすえさんは1988年に結婚。新喜劇内での“内場-やすえ”の夫婦漫才風の掛け合いはファンの中でもお馴染みで、お互いへの愛情がにじむこれらの演技は涙と笑いの両方を呼び起こしてきました。
そのため、今回の報道に対し、SNSなどでは「信じられない」「寂しいけど、内場さんらしい決断だ」「新喜劇の歴史に残る人」といった声が相次ぎました。劇場で彼の舞台を見てきた観客たちは、座長を務めていた頃の懐かしい舞台を思い出しながら「ありがとう」と静かに別れを告げています。
また、吉本新喜劇自体もこの退団を受けて新体制の模索が急がれています。現在は辻本茂雄さん、川畑泰史さんらが中心となりつつありますが、その中でいかに“内場イズム”を後輩たちが受け継ぎ、発展させていくかが鍵となります。
内場さんの言葉の中に、「若い子たちが頑張っている。そしてこの子たちが育っていく姿を見届けたい」というものがありました。これは、新喜劇が持つファミリー的な精神に通じるものであり、まるで舞台上の“お父さん”が静かに後方へ退いて、子どもたちが主役になる舞台を温かく見守ろうとしているような印象すらあります。
大阪を愛し、大阪の笑いを守り抜いてきた男の退団。たしかにそれは寂しいことです。しかし、同時にそれは、新たな伝説の始まりでもあります。内場勝則という名喜劇人が培ってきた熱い魂は、笑いの世界に確かに刻まれ、そして未来へと引き継がれていくことでしょう。
これからも、きっとどこかのテレビやステージで、あの笑顔と「なんでやねん!」の名フレーズに出会える日が来るはずです。舞台を降りることは、終わりではなく、新たな旅の始まりなのかもしれません。いつまでも、あの舞台の真ん中で、観客を包み込むように笑わせてくれたその姿――私たちは決して忘れることはないでしょう。