2024年6月、吉本興業所属の人気お笑いコンビ「ミルクボーイ」の駒場孝(こまば・たかし)さんが、作家としても才能を開花させたことが大きな話題を呼んでいます。この記事では、その快挙の背景や、駒場さん自身のこれまでの道のり、そして芸人から作家への意外な転身について、改めて丁寧に掘り下げてみたいと思います。
今回注目されたのは、6月10日に発表された「第170回芥川賞・直木賞」の候補作リストです。この中で、駒場孝さんが初めて挑戦した小説『海がきこえる場所で』が、なんと直木賞の候補作品として選ばれたのです。
お笑い界から直木賞候補作家というまさかの飛躍に、世間では驚きと賞賛の声が溢れています。「笑いで人を魅了する彼が、今度は文字の力で人々を感動させようとしているのか」「文才もあったなんて凄い」など、SNSやネットニュースのコメント欄には興奮気味の投稿が並びました。では、その快挙を成し遂げた駒場さんとは、一体どのような人物なのでしょうか。
駒場孝さんは1986年2月5日、大阪府大阪市生まれ。現在38歳です。中学校・高校時代は剣道に打ち込み、大阪府の大会で好成績をおさめたこともあるほどの腕前でした。高校卒業後、大阪芸術大学短期大学部に進学しますが、やがてお笑いの道を志し、2007年に内海崇(うつみ・たかし)さんとお笑いコンビ「ミルクボーイ」を結成。吉本興業に所属します。
彼らの名前が一気に全国区になったのは、2019年の「M-1グランプリ」での優勝でした。王道の漫才スタイルにこだわりながらも、日常の些細な疑問から大きな笑いを生み出す話術と構成力は、審査員・観客の心を完全に鷲掴みにしました。「コーンフレーク」や「最中(もなか)」といったネタが、やがて「M-1以降最多の再生数」となるほど世間の話題をさらい、お笑い界に再び“正統派漫才ブーム”を巻き起こしたのです。
その後、駒場さんはバラエティ番組、情報番組にも多数出演し、“筋肉芸人”としても注目されてきました。筋トレ好きが高じてフィジーク(筋肉美を競う競技)に出場することもしばしば。ストイックに身体を鍛え、健全なイメージを保ちながらも、お笑いでは誰よりもユーモアと知性を感じさせる——そんな「両極の魅力」を持つ人物として確かなポジションを築いてきました。
しかし、そんな駒場さんにはもうひとつの顔がありました。それが書き手としての側面です。実は、日頃から読書家として知られる彼は、様々なジャンルの文学を愛読しており、特に村上春樹、中島らも、又吉直樹といった、ストーリーテリングの深い作家たちに影響を受けてきたと言います。
相方・内海さんの証言によれば、駒場さんは2019年のM-1優勝直後から、静かに執筆の準備を始めていたとのこと。舞台の合間や移動中の楽屋、ホテルでの空き時間なども惜しまずパソコンと向き合い、自身の体験や想像をもとに短編小説を書き溜めていたそうです。そして、2023年末に完成した中編小説『海がきこえる場所で』が、業界関係者の目にとまり、文芸誌「小説新潮」に掲載される運びとなったのです。
物語のテーマは「親と子、そして希望」。ある関西の漁村を舞台に、不器用だが真っ直ぐな父と、都会で夢を追う息子の心のすれ違い、そして最終的な和解を描いた作品で、素朴ながらも繊細な心理描写と、笑いと悲しみが絶妙にブレンドされたストーリーテリングが高く評価されました。書評家の中には、「又吉直樹の『火花』以来の衝撃」「お笑いのセンスと文章力ばかりでなく、文学としてのテーマ提出力がある」と称える声も少なくありません。
駒場さんのコメントによれば、「お笑いも小説も、“人に何か届ける”という意味では本質は近い。違う点があるとすれば、漫才は相方が傍にいてすぐに反応がある。でも小説では反応が返ってこないまま、読者に委ねることになる。その孤独感と、自分の中に生まれた感情に正直にならざるを得ない時間が、とても意味のあるものだった」という旨の話を残しています。この言葉からも、彼の真摯な創作姿勢が伝わってきます。
では、「芸人から小説家」への挑戦は、今後どうなっていくのでしょうか。彼と同じく芸能界出身作家の先駆者として知られるのが、ピース・又吉直樹さんです。又吉さんは2015年に『火花』で芥川賞を受賞し、芸人作家というジャンルを確立した存在となりました。駒場さんもまた、そんな先人たちの背中を見ながら、ただの“話題作り”ではなく、一人の作家としても真剣に文学と向き合っている印象があります。
直木賞は小説の完成度に加えて、読者の心をどれだけ揺さぶるものかが問われる賞です。芸人としてのキャリアがあるがゆえに、先入観を持たれやすい立場かもしれませんが、それを上回る圧倒的な実力があるからこそ、今回のノミネートに至ったのでしょう。
『海がきこえる場所で』は、多くの読者にとって、静かな温もりと共感を運ぶ作品となっています。そしてこれから、文芸界とエンタメ界というフィールドを自由に往復しながら、駒場孝さんはまったく新しい“複眼の表現者”としての道を歩んでいくのかもしれません。
笑い、筋肉、文学——三拍子揃った異色の才能は、これからどこへ向かうのか。新しい表現の可能性を提示し続ける彼の挑戦から、しばらく目が離せそうにありません。