サイバーパンク、哲学、アニメ──それらが交差した革命的傑作、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』。1995年に公開されたこのアニメ映画は、当初日本では大ヒットとはいかなかったものの、のちに世界中のクリエイターたちに計り知れない影響を与え、日本アニメの国際的地位を大きく押し上げることとなった。
監督を務めたのは、押井守(おしい・まもる)。1951年生まれ、東京都出身。大学では政治経済学を学びながら、映画研究部に在籍。1977年、タツノコプロダクションに入社し、アニメ業界に足を踏み入れる。代表作に『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『機動警察パトレイバー』シリーズなどがあり、その独自の映像美と哲学的なテーマ性で、日本アニメ界に異彩を放ってきた。
『GHOST IN THE SHELL』は、士郎正宗(しろう・まさむね)の同名漫画を原作にしている。士郎は1961年生まれ、兵庫県出身。工業デザインを学んだバックグラウンドを持ち、緻密でテクニカルなメカ描写と、複雑な世界観構築を得意とする作家だ。彼の『攻殻機動隊』は、サイボーグ技術や電脳化が進化した未来社会を舞台に、人間性と機械化の狭間で揺れる存在たちを描いた。
この原作を元に、押井守はあえて「分かりづらい映画」を作ったという。
「アニメで説明的なセリフを語らせたくなかった。絵で伝えたかった」という押井の思想のもと、観客にすべてを説明することなく、映像と断片的な台詞で世界観を積み上げていくスタイルが徹底された。難解と言われた映画だが、それこそが作品に深みと再観賞に耐える力を与えた。
この映画が世界に衝撃を与えた最大の要因は、その映像美だった。コンピュータグラフィックス(CG)とセル画を組み合わせたビジュアルは、当時としては最先端。サイバー空間の描写、雨に濡れた街路、義体化された主人公・草薙素子の裸体──どれもが生々しく、幻想的なリアリズムを持っていた。
実はこの作品、制作費の半分以上を海外からの出資によってまかなわれていた。押井作品に惚れ込んだイギリスの映画会社マングローブ社が、積極的に支援を申し出たという。日本国内での受けは芳しくなく、興行収入もそれほど大きくなかったが、ビデオソフト化されてから海外市場で爆発的な評価を得る。
とりわけハリウッドのクリエイターたちは、『GHOST IN THE SHELL』に多大なインスピレーションを受けた。その筆頭が、後に『マトリックス』シリーズを手がけることになるウォシャウスキー姉妹(ラナ・ウォシャウスキー、リリー・ウォシャウスキー)だ。彼女たちは「マトリックスを作る前に『GHOST IN THE SHELL』をインスピレーション源としてワーナーにプレゼンした」と公言しており、実際、『マトリックス』には攻殻機動隊へのオマージュと取れるシーンも多く散見される。
押井守自身は、「売れないかもしれないが、自分が理想とする映画を作る」という信念のもと、この映画を完成させた。結果的に、この挑戦が後進のアニメーション監督たちに道を切り開くこととなった。
たとえば、『君の名は。』『天気の子』で世界的成功を収めた新海誠監督は、押井の影響を公言している。また、細田守監督(『時をかける少女』『サマーウォーズ』)もまた、押井を敬愛してやまない。彼らが世界に向けてアニメーション映画を打ち出す際、『GHOST IN THE SHELL』が切り拓いた道なしには語れないものがある。
押井守は現在も現役であり、近年では『ぶらどらぶ』『犬王』など意欲的な作品を送り出している。70歳を越えた今なお、「わかる人にだけわかればいい」というスタンスを崩さない希有なクリエイターだ。
映画自体も色褪せることなく、いまや不朽の名作として扱われている。特に、ネットワークと人間の融合といったテーマは、AIや仮想空間技術が発展著しい今だからこそ、より現実味を帯びて迫ってくる。
「人はなぜ記憶にこだわるのか」
「私は何者なのか」
「魂とは何か」
──劇中で草薙素子が問いかけるこれらの言葉は、30年近く経ったいまでも、観る者の心に深く突き刺さる。それは、押井守という希代のアーティストが、時代に消費されない作品を作ろうとした努力の結晶でもある。
『GHOST IN THE SHELL』は、日本アニメの「世界標準」を押し上げただけでなく、アニメという表現媒体そのものの可能性を世界に証明してしまった映画だった。
そして、この作品のあと、日本アニメは確かに変わった。世界は、「ジャパニメーション」という言葉を本気で使い始めたのである。
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