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遅咲きの名脇役、占部房子――一枚の写真が照らした人生の光

「目立たない一枚の写真」が導いてくれた第二の人生――遅咲き女優・占部房子の輝き

テレビの前で、あるいはスマホの小さな画面の向こうから、ふと視線を引き寄せる存在がいる。主役ではない。それでも印象に残る。なぜか目を奪われてしまう。そんな人が、日本のドラマ・映画の世界には何人も存在している。

2024年春クールの月9ドラマ『366日』(フジテレビ系)でもまた、名もなき一枚の写真に目を奪われた視聴者がいた。そしてその写真に写っていたのが女優・占部房子(うらべ・ふさこ)だった。

SNS上には多数の書き込みがされ、「写真だけで泣ける」「誰このお母さん役…凄すぎる」と話題に。そして彼女の名前が一躍検索上位に躍り出た。だが、多くの人にとってその名前は馴染みのないものだったに違いない。占部房子──1965年生まれ、現在59歳。女優を志したのは30歳の時。それまでの人生は、表舞台とは無縁のものだった。

福岡県出身。地元の短大を卒業後、旅行会社へ就職。いわゆる「普通のOL」として勤務していた。しかし「何か物足りない」「本当にやりたいことは何か?」と自問する日々が続く。その答えが「芝居」だった。ただし、演技経験はない、演劇学校に通ったわけでもない。通常なら尻込みしてしまう状況だ。

だが彼女は一念発起し、30歳という遅い門出で地元福岡から上京。三谷幸喜らが拠点としていた劇団「東京サンシャインボーイズ」の舞台を観て衝撃を受け、「こんな芝居がしたい」と演劇の道へ飛び込んだ。

初めて立った舞台は、1995年『天然女房のスパイ大作戦』。そこから地道な活動が始まる。小さな劇場の舞台に立ち、時にはエキストラとして映画やドラマに出演しながら、少しずつ表現の幅を広げていった。

彼女の名が作品にクレジットされることはまだ少ない時期だったが、その仕事ぶりを見ていたスタッフや演出家たちは、確かにその才能に気づいていた。「最小のセリフで、最大の感情を伝えられる女優だ」と言われるようにもなった。

そんな彼女の名が広く世に知られるきっかけとなったのが、是枝裕和監督の2018年の映画『万引き家族』だった。主演のリリー・フランキー、安藤サクラらと共演したこの作品は、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞し、日本映画史に残る作品となった。

占部は主人公一家と浅からぬ関係を持つ人物として登場し、その役どころは決して目立つものではなかったが、観た者の心に静かに訴えかける存在感を示した。特に是枝監督のカメラは、彼女の些細な表情や視線に価値を置き、淡々とした演技の中に真実を見出していた。

続いて2022年には、NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に出演。ヒロイン・ひなた(川栄李奈)の叔母・小しず役として柔らかな関西弁を駆使し、家族の温もりと強さを表現。高齢者役ですら役に没頭し、脚本以上の深みを見せるその演技は、共演者にとっても大きな刺激となったという。

だが、そんな長年のキャリアがあったにもかかわらず、彼女が2024年の『366日』で一躍話題となった要因は、実は「写真」だった。

ドラマ内で、主役である明日香(広瀬アリス)の家に飾られていた一枚の遺影。そこに写っていたのが占部房子演じる“亡き母”の肖像だった。回想シーンで登場するわけでもなく、わずかなカットの中で静かに表情を湛えている。そのわずかな存在感が多くの視聴者の心を掴んだ。そのクオリティと説得力には「まるで実際にこの家族と一緒にいた本物の母親のよう」とさえ言われた。

その後、物語が進むにつれて占部は回想シーンでも登場。少しずつその過去が明かされていく中で、「あの写真の人が実は・・・」という驚きと納得が広がっていく。顔立ちは派手ではない。けれども、柔らかな笑み、目の奥に宿る寂しさ、言葉少なに抱擁する姿。そのすべてが母親という存在の真実を浮かび上がらせる。

もちろん、長年の「遅咲き女優」としての経験や、地道に積み上げた舞台や映像の仕事すべてが、この役に活かされている。その年輪が、何気ない「静」の演技によってむしろ豊かに響くのだ。

今、多くの若手役者が「映える演技」を求められる中、占部房子の演技はその真逆にある。ひたすら「そこにいること」「生活していること」を表現する。それが逆に、新しい刺激として受け止められているのだ。

60歳を目前にして注目を集めた彼女は、今もなお演技の「勉強中」だという。

「私は芝居の学校に通っていないので、今でも毎回、自分の引き出しを探している途中。役を追いかけていく中で、ようやく“こういう感情があったのか”と気づくことも多いんです」と語る。

そんな等身大の感覚が、彼女の演技を決して飾らないものにしている。そしてそれこそが、いま日本の映像作品に求められている“本物の息遣い”なのかもしれない。

ドラマ・映画を観るたびに、「この人誰だろう?」とネットで検索される名脇役たち。その中のひとりだった占部房子は、ついに作品の核心を担う存在として、多くの視聴者の心を掴んだ。「いつもどこかにいる普通の人」のようでいて、どのシーンにも欠かせない人。それが彼女の魅力なのだ。

俳優としての転機はいつやって来るかわからない。そして、主役でなくとも、物語の真価を引き出す存在がいる。占部房子はその生きた証明であり、これからも多くの物語に静かに命を吹き込んでいくだろう。