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情熱で日本バスケを変えた名将──トム・ホーバスが導いた48年ぶりの五輪への軌跡

日本バスケットボール界の歴史的勝利を導いた名将、トム・ホーバス──“日本らしいバスケ”を世界に示した情熱の軌跡

2023年夏、日本バスケットボールにおいて、かつてない快挙が成し遂げられた。男子日本代表がFIBAバスケットボールワールドカップでアジア勢最上位となり、自力での2024年パリ五輪出場権を獲得したのである。これは1976年モントリオール五輪以来、実に48年ぶりの快挙だった。

この偉業の立役者が、日本代表ヘッドコーチのトム・ホーバスだ。アメリカ出身の元プロ選手であり、日本との深いつながりを持つホーバスは、長年日本バスケットボール界の発展に貢献してきた。2021年に女子日本代表を東京五輪の銀メダルへと導いた実績を持つ名将が、今度は男子代表という新たな舞台で再びミラクルを演出した。

ホーバスの哲学は明快だ。「日本人のサイズに合った、走力とシュート力を生かす“日本らしいバスケ”」──このスタイルを徹底的に磨き、世界と互角に渡り合うチームを作り上げた。

■ホーバスの原点:NBA経験と日本でのプレーを経て指導者の道へ

1967年、コロラド州生まれのトム・ホーバスは、ペンシルベニア州立大学でバスケットボール選手として活躍した後、1989年にNBAアトランタ・ホークスに加入。その後、キャリアの舞台を日本に移し、1990年代を中心にトヨタ自動車(現・アルバルク東京)などでプレーした経験を持つ。

彼が日本に強い愛着を持つようになったのも、この時期が大きい。現役引退後はアメリカでの生活に戻るが、再び日本バスケット界に戻り、2010年代後半からは女子日本代表のアシスタントコーチ、そして2017年からはヘッドコーチとして指導を始めた。

2021年の東京五輪では、日本女子代表チームをアメリカ以外の勢力として史上初の決勝進出に導き、銀メダルを獲得。卓越した戦術と選手一人ひとりを最大限に生かす指導方法が世界中の注目を集めた。

■“男子代表でも世界と戦える”──挑戦への決意

東京五輪終了後、ホーバスは女子代表のヘッドコーチを退任。2021年秋、前例のない決断に踏み切る。男子日本代表のヘッドコーチ就任である。

「男子の世界は女子以上に厳しい。自分のスタイルが通用するか不安もあった。しかし、日本の男子バスケを変えるチャンスが目の前にある。逃したくなかった」

記者会見で語ったこの決意の言葉は、彼の覚悟と情熱を端的に表していた。

当初、男子代表はFIBAランクで40位台という位置に甘んじており、国際舞台での戦績も決して芳しくなかった。さらに、NBA選手などとのフィジカル差も大きな課題だった。しかしホーバスは、自らの哲学をぶれることなく貫き通す。

「高さで勝てないならスピードと技術で勝つ。日本人の長所を最大限に生かすスタイルが、必ず世界で通用するはずだ」

■“スピード&スペーシング”──日本流バスケの確立

ホーバスが男子代表に浸透させたのは、「早い展開」「スペースを広く使うオフェンス」「高確率のスリーポイントシュート」からなる戦略だった。

これを実現するために、細かいポジショニング、パスのタイミング、ディフェンスから速攻への切り替えまでを徹底的に鍛え上げた。選手たちにも「何のためにこの動きが必要なのか」を一つひとつ丁寧に説明する姿勢は、まさに教育者そのものだった。

中心選手となったのが、NBAフェニックス・サンズの渡邊雄太や、サンアントニオ・スパーズの八村塁(※八村はワールドカップ出場辞退)、日本のBリーグで活躍する富永啓生や河村勇輝ら。

八村の不在という逆境を乗り越え、彼ら若き才能がホーバス流戦術に順応していく様子は、“チームとしての成熟”そのものだった。

■沖縄で示した“日本の誇り”──フィンランドとベネズエラに勝利

2023年夏、ワールドカップの舞台は沖縄。日本代表は、第1戦でドイツに敗れたが、第2戦ではフィンランドを撃破。さらに、順位決定戦ではベネズエラとカーボベルデにも勝利し、歴史的な3勝を挙げた。

なかでもフィンランド戦は、日本が劣勢から粘り強く追いつき、3Pシュートと速攻で一気に畳みかけて逆転勝利を収めた劇的な展開だった。富永の豪快なシュート、河村のクレバーなゲームメイク。まさに“日本らしいバスケ”が世界に通用することを証明する一戦だった。

この結果、日本はアジア勢最上位となり、パリ五輪の出場権を自力で掴んだのである。

■選手を信じ、“信念”を貫いた指導者の姿

記者会見でも、ホーバスは涙をこらえながら語った。

「日本のバスケにとって、今日という日は歴史的な瞬間。全員がハードワークをした結果だ。チームを信じて、本当に誇りに思う」

選手たちの中には、ホーバスの厳しい指導に戸惑い、戸惑いの声もあったという。しかし彼は一貫して信念を崩さなかった。シュートの確率が悪ければ、100本、200本と練習を重ねる。走れない選手には走れる身体をつくるよう、食事やメンタルまでサポートする。

「“日本代表であること”に誇りを持たなくては、世界に勝てない」

この言葉の重みは、選手たちのプレーを通じて観客にも伝わっていた。

■未来への希望──パリ五輪とその先へ

パリ五輪では、さらにレベルの高い相手が待ち受ける。八村塁の復帰、NBAで才能を発揮する選手との連携など、多くの課題もある。それでもホーバスは言う。

「最初は“男子代表では無理だ”と思う人も多かった。それが変わった。これが始まりに過ぎない」

トム・ホーバスの信念と情熱は、日本バスケットボールに根を下ろし、全く新しい価値を生み出しつつある。「できない理由」ではなく、「どうすればできるのか」を問い続けるその姿勢は、スポーツにとどまらず、日本社会全体へのメッセージでもあるだろう。

パリ五輪という新たな挑戦に向けて、今、再び日本バスケが世界へ飛び出そうとしている。

その先頭に立つのは、他でもないアメリカ出身、日本心を持つ名将トム・ホーバスだ。