「AIの進化と未来」――東大名誉教授・松尾豊氏が語る“これからの社会とテクノロジーの行方”
2024年6月、東京大学名誉教授であり、日本における人工知能（AI）研究の第一人者として知られる松尾豊（まつお・ゆたか）氏が、記者会見で語った「AIと社会の共生」に関するビジョンが大きな注目を集めている。近年急速に進化を見せる生成AIの波は既に我々の生活のあらゆる面に入り込みつつあるが、その未来をどう見据え、どのように活用していくべきなのか——。AIの専門家として、日本の技術戦略と教育の在り方までを見据える松尾氏の考えには、今後の社会変革を読み解くための重要なヒントが詰まっている。
松尾豊氏は1975年、福岡県に生まれる。その後、東京大学工学部電子情報工学科に進学し、同大学院で博士号（工学）を取得。学生時代から人工知能、特に機械学習に異才を発揮し、研究者としてのキャリアを積んできた。2007年には東京大学大学院工学系研究科准教授に就任。その後、教授職を経て、2023年度に名誉教授となる。彼の研究はディープラーニングの活用を中心に展開されており、AIの応用範囲の拡大のみならず、それを社会実装する仕組みにも深く関わっている。
近年、松尾氏は産官学を巻き込むAI人材育成プロジェクト「日本ディープラーニング協会（JDLA）」の設立にも尽力。その目的は、次世代のAI人材を育成し、ビジネス界をはじめとする多様な分野でAI技術を実装可能な人材を育てることだ。2017年の協会設立以来、同会はG検定（ジェネラリスト検定）やE資格（エンジニア資格）といった認定試験を通じて、学術界だけでなく、企業の現場においてもAIリテラシーの底上げを狙ってきた。
6月の記者会見では、ChatGPTに代表される生成AIの社会的インパクトについて、松尾氏は「これまでの計算機科学と比べても、桁違いの破壊力を持っている」と明言。彼によれば、生成AIの登場によって知的生産の在り方は根本から変化しており、教育・研究・政策決定・創造活動といったあらゆる知的活動領域での再構築が求められているという。
特に、かつて工業化社会で生産性の向上が人の肉体労働から機械へと置き換わったように、松尾氏は「AIは高度な知的タスクの多くを肩代わりし始めている」と指摘する。しかもこの変革は、わずかな予兆時間で社会の深部まで浸透しており、既に教育の現場や行政機関、さらには芸術・クリエイティブ産業までもが新しいツールを前提とした運用を迫られているという。
そのような状況下でカギになるのが「AIリテラシー」だ。松尾氏は「生成AIを使いこなせる人材」と「使われる側にとどまる人材」との間には、将来的に大きな格差が生まれる可能性を懸念している。つまり、AI時代においては「読み・書き・そろばん」だけでなく、「AIを使いこなす力」が、もはや基本的な素養になるという認識だ。
また同氏は、生成AIの進化に伴い「人間らしさとは何か」が再定義されていることにも触れた。感情や創造性、倫理的判断といった“非アルゴリズム的”側面こそ、人間の本質であり、今後はその領域における価値創出が一層問われるという。「AIにできる仕事の一つになる前に、自分の価値をどこに置くかを考える時代が来ている」と、松尾氏の言葉にはテクノロジーに対する警戒と希望、両面の洞察が込められている。
一方で、現在日本が直面しているAIに関する課題にも松尾氏は厳しく言及した。特に、AIの活用においては欧米や中国と比較して、日本はビジネスへの実装ステージが満足に整っていないという。「技術研究のポテンシャルは高いものの、政策や経済といった別分野との連携が不十分」であり、その危機感が、彼の教育活動や政策提言の原動力となっている。
そのような背景から彼は、教育制度そのものの変革も視野に入れている。幼少期からAIに直接触れる機会を与え、思考力・判断力・創造力を磨くためのカリキュラム整備を提唱。更に、高校・大学ではAI基礎教育を必修配置し、“使いこなす文化”を育てることが急務であると強調する。教育制度の改革は時間がかかるが、技術進化のスピードに追いつくには「今始めなければ遅い」とのメッセージは極めて明確だ。
松尾氏の取り組みや発信は、日本におけるAI理解の向上と啓発に大きな貢献をしており、名誉教授として現場を離れてもなお多くの識者や若者から尊敬を集めている。研究者の枠を超えて、政策アドバイザーや経済界との対話にも努めるその姿勢からは、「テクノロジーは人間の未来を拓く道具であるべきだ」という誠実な信条がにじみ出る。
AIは人類にとって脅威なのか、あるいは共存できるパートナーなのか——。松尾豊氏が示すビジョンの中には、その答えに近づくための指針がある。単なる技術ではなく、社会の在り方を見直す契機としてのAI。それをどう活かすかは、今この瞬間を生きる私たち一人ひとりの手にかかっている。新たな知の時代、第4次産業革命の中心を担うツールとしてのAIに、希望と責任を持って向き合いたい。
