2024年6月、時代の大きな節目とも言える話題が注目を集めている。東京都知事選に、元航空幕僚長の田母神俊雄氏が出馬を表明したのだ。田母神氏は今回の出馬について、「この日本が危機的な状況にある。自分には東京、ひいては日本を指導する覚悟と能力がある」という強い意志を示している。この記事では、田母神俊雄氏の経歴とともに、彼が出馬を決断した背景、そして今後の展望について詳しく掘り下げてみたい。
冒頭でも触れたように、田母神俊雄氏は元航空幕僚長という異色の経歴を持つ。1958年に福島県で生まれ、1971年に防衛大学校へ入学。その後、自衛隊航空部門に入隊し、順調に昇進を重ねながら軍務に携った。日本の航空自衛隊で最も高い地位のひとつである航空幕僚長には2007年に就任。自衛隊内では極めて優秀な実務者および指導者として評価されていた。
しかし、田母神氏の名が全国的に知られるようになったのは2008年、当時航空幕僚長の職にありながら発表した論文が大きな議論を呼んだことがきっかけだった。論文の中で、いわゆる「東京裁判史観」を疑問視し、戦後の日本のあり方について積極的に意見を示した内容に、一部からは称賛の声もあったが、逆に公職にある人物としての立場や中立性に疑問を呈する声も上がった。この論文の発表を受けて、田母神氏は航空幕僚長の職を更迭され、公の場から姿を消すこととなった。
その後の田母神氏は執筆活動や講演活動を通じて、保守的な立場から日本の自立、安全保障、憲法改正などについて積極的に発信を続けてきた。2014年には東京都知事選に初出馬。当時の選挙では、自衛官としての経歴を生かした国家防衛・危機管理の観点からの政策を訴え、一定の支持を得たものの、当選には至らなかった。また、同年には次世代の党から衆議院議員選に出馬したが、やはり落選を経験している。
その後、保守系団体や政党との関わりがあった一方で、公職選挙法違反に関わる裁判で有罪判決を受けたこともある。2016年の東京地裁では、選挙における買収の罪で有罪判決(執行猶予付き)を受けたが、田母神氏自身ははっきりと「私は買収を指示したことはない」と無罪を主張していたという。判決後も政治活動は完全には止めず、自らの信念に従い、日本の未来を憂う言葉をコラムや講演で発信し続けている。
今回の出馬表明は、それら過去の出来事を踏まえた上でも、田母神氏にとって大きな挑戦である。高齢化、人口減少、財政問題、安全保障、災害対策など東京都が抱える多くの課題に対し、田母神氏は「国防と防災は一体であり、最も肝要なのは、有事に首都をいかにして守るかという視点」と語っている。現職都知事の小池百合子氏が長期政権を築く中で、変革を目指す彼の主張が今後どこまで都民の心に響くかが注目される。
一方で、今回の選挙では、他にも数十人が立候補を検討しているとされており、田母神氏が「泡沫候補」として扱われる懸念も無くはない。しかし、ネットやSNSでは田母神氏の出馬に対して肯定的な声も多く見られ、「東京を守れるのはこういう人だ」「安全保障のプロが政治に関わるべきだ」といったコメントも散見される。
田母神氏の実績は自衛官としてのみならず、その後の言論活動という点でも一貫している。特に、今の日本が直面する地政学的リスクや自然災害への備えという観点からは、「日本を守る」という視点を持つ候補者が選挙戦に加わることの意義は小さくないといえる。
さらに注目すべきは、田母神氏自身が「以前の自分とは違う」と語っている点だ。過去の過ちを真摯に受け止め、再び公の場で役割を果たしたいとするその姿勢は、以前とはまた異なる意味で、多くの有権者の胸を打つ可能性がある。
東京都は、国の政治や経済の中心であるだけでなく、人口1400万人を抱える巨大自治体であり、首都防衛からエネルギー政策、福祉、子育て、都市計画まで、多岐に渡る政策課題を抱えている。時に「小さな国に相当する」とも言われるこの都市を動かすには、ビジョンとともに冷静かつ的確な判断力が必要とされるだろう。
果たして、田母神俊雄氏がこの舞台でどこまで戦えるのか。そして、彼の掲げる“安全保障”という視点が、有権者の関心の中心にどこまで位置づけられるのか。東京都知事選は、単なる地方政治の話題を超え、日本の抱える未来像を問う場となりつつある。
2024年7月の選挙、その結果が東京、そして日本の進路を左右する大きな分岐点となることは間違いない。田母神俊雄氏の挑戦は、その中でも特異な存在感を放ち続けている。