現代の日本経済を象徴するような人材と言っても過言ではない経営者が、再び脚光を浴びている。大手外食チェーン「ワタミ」の創業者であり、元衆議院議員としても知られる渡邉美樹氏が、10年ぶりに同社の社長職に復帰した。2024年6月24日、ワタミは正式にその人事を発表し、業界内外に大きな波紋を広げている。
渡邉氏は経営者、政治家、教育者と多岐にわたる顔を持ち、30年以上にわたり日本の経済界に影響を与え続けてきた存在である。1959年生まれの彼は、神奈川県の一大学を中退後、1984年に「株式会社ワタミフードサービス」を創業。当初は居酒屋を中心にスタートしたが、その後次第に事業領域を広げ、外食産業の一大ブランドへと成長させた。
ワタミは2000年代初頭には「地球上で一番たくさんのありがとうを集める企業」を掲げ、急成長を遂げた企業である。その背景には、渡邉氏の抜群の経営手腕と、その背後にある強い理念がある。彼は徹底した現場主義と人材育成を重視し、従業員への教育や理念浸透に積極的に取り組んだことで知られている。社会貢献への強い意識も持っており、環境保全や農業事業、介護事業などにも手を広げた。
しかし、経営の急拡大に伴って、世間の視線は次第に厳しさを増していく。2010年代初頭には、労働環境を巡る問題がクローズアップされ、一部報道により「ブラック企業」の代表例として取り上げられることもあった。過重労働や若手社員の離職率の高さなどが指摘され、企業の理念と現実とのギャップが批判され始めた。
これに対して、渡邉氏は「根本から立て直す必要がある」と感じたのだろう。2013年には社長職を退き、さらなる社会貢献への道として政界に転身。ワタミの経営からは徐々に距離を取るかたちになり、2013年の参院選で自民党から出馬し、見事当選を果たした。政治活動では、主に福祉・教育・農業に関する委員会で精力的に活動。とりわけ、持続可能な食の循環や高齢者福祉の充実を主張し、彼の理念と連動した政策展開を試みた。
一方、政治家としての活動期間中にワタミは業績が停滞。外食市場の変化、ファミレス・居酒屋業界の競争激化、そして新型コロナウイルスのパンデミックによる打撃などが重なり、ワタミはかつての勢いを失っていた。また、コロナ禍ではセントラルキッチンの有効活用や宅配・テイクアウトの強化など新たな挑戦に出るも、根本的な改革は遅れたとの指摘もある。
2022年には創業当時を思い起こさせるような「ワタミの宅食」の再拡大や、次世代店舗としての焼き肉業態「上村牧場」の立ち上げなど、一定の戦略的再構築を見せたが、決定的な再成長の波には乗れていなかった。
そこで今回、渡邉氏は再び経営の第一線に立つ決断を下した。会長職としてグループ全体のビジョンを描く立場から離れ、現場を率いる“戦う社長”としての復帰は、まさに彼の経営者人生の「原点回帰」とも言えるだろう。ワタミが再生のために必要としていたのは、創業者としての強いリーダーシップと、同時に社会との対話を重視した柔軟な姿勢だったのではないか。
渡邉氏は記者会見の中で、この10年での経営環境の変化に強い危機感を持っていたことを明かした。「店がきちんとしていない」「本部主導の手法では脱皮できない」との認識のもと、現場の一つひとつの声に耳を傾ける「原点回帰の現場主義」を再び掲げている。また、事業再生にあたっては、農業・外食・介護・環境の4本柱を軸に、今後の日本社会が抱える諸課題への具体的な解決策を提示していく考えだ。
今回の社長復帰は、単なる人事変更にとどまらず、外食産業全体に与える影響も少なくない。コロナ後の行動様式、働き方改革、人手不足、新しいライフスタイルに対応するためのビジネスの在り方を見直す必要がある今、渡邉氏の経営者としての手腕には、再び大きな注目が集まっている。
また、今回の社長復帰には「世代交代の失敗」といった単純な見方では片付けられない側面もある。むしろ、昭和・平成・令和と時代を跨いできたトップ経営者が、どれだけ柔軟に時代に対応し、理念をどうアップデートしていくか、その姿勢が問われる新たなフェーズと言えるだろう。
外食大手チェーンとしての再起、さらに社会課題への取り組みという二つの道を両立できるか否か──。それは、「理念経営」と「効率経営」のバランスをいかに取るか、という日本企業全体が直面する命題にも通じる。
今後、渡邉美樹氏率いる「新生ワタミ」が、どのような形で社会に価値を提供していくのか。その行く末を見守ることが、現代の経営のヒントになり、次代の起業家たちにとっても重要なケーススタディとなるに違いない。