Uncategorized

液晶に賭けた経営者・片山幹雄氏の軌跡――挑戦と教訓のシャープ改革史

シャープ元社長・片山幹雄氏、改革の歩みと“液晶敗戦”の教訓

2024年6月、シャープ株式会社の元社長・片山幹雄氏が逝去された。享年71歳。片山氏はエレクトロニクスの牽引役であるシャープにおいて、厳しい経営環境の中、先進的な液晶技術の強化と海外市場への展開に尽力した人物だ。その経営哲学と功績、そして日本のエレクトロニクス産業全体に残した教訓は、今なお大きな反響を呼んでいる。

片山氏がシャープの社長に就任したのは2007年。経営のかじ取りを担ったのは、最も技術革新が急速に進んだ、同時に、グローバル競争が激化した時代だった。彼は、かつてシャープが世界に誇った液晶技術をさらに推進する方針を打ち出し、国内外における新工場投資に踏み切る。最大の象徴となったのが、大阪・堺市に建設された“次世代液晶工場”――いわゆる「堺工場」である。

この堺工場は、世界最高峰の設備を備えた液晶パネルの拠点として2009年に稼働した。片山氏は「10年先を読む」と語り、4K対応の大型ディスプレイ市場や次世代テレビ市場の需要拡大を見据えていた。日本のものづくりの粋を結集したこのプロジェクトは、まさに「攻めの経営」とも言える動きだった。

しかし、結果としてこの堺工場への巨額投資がシャープの経営の重荷となる。2008年に起きたリーマン・ショック以降、世界経済が停滞する中、テレビや液晶パネルの価格が急激に下落。さらに韓国・中国メーカーの台頭により価格競争が激化。シャープの業績は急速に悪化していった。

当時、社長としての片山氏は「液晶一本足打法」とも言われるほど、液晶産業に依拠した事業構造を取っていた。技術への信頼と、日本の製造業が持つ競争力への誇り、そして自らの開発者としての経験が、そうした経営判断の根底にあったのは間違いない。

実際、片山氏自身は技術畑を歩んできたエンジニア型の経営者である。1977年にシャープに入社して以来、液晶ディスプレイの開発部門でキャリアを積み、早くから世界市場での競争を意識していた。デバイス開発の現場では、数々の困難を乗り越えてきたこともあり、「技術が未来を切り開く」と信じてやまなかった。

社長時代も「現場主義」を貫き、社員との対話や技術会議への参加を怠らず、製造ラインまで足を運ぶ姿も多くの社員が目にしている。経営者でありながら技術者としての思考をもって判断を下すというスタイルは、まさに日本的経営の一形態だった。

一方で、2000年代から世界の電子産業では、製造拠点をアジア諸国に移す動きが加速し、国内生産を重視する戦略は“時代遅れ”と見る声もあった。また、スマートフォンやタブレットといった新たな技術の台頭が、従来型テレビの需要を急速に侵食する中で、液晶テレビに多くを賭けたシャープの戦略は後手に回った。

2012年、シャープの経営危機が顕在化し、片山氏は会長職を辞任する。巨額赤字、株価の暴落、そして国内外での人員削減という局面は、多くのファンや日本の技術力に期待する人々にとって衝撃だった。

だが、片山氏の思い描いた未来は、決して非現実的なものではなかった。今でこそ、4K・8KテレビやAI技術を融合させたスマートディスプレイが注目されている現在、片山氏の「先を読む」ビジョンは正しかったとの評価もある。タイミングと環境の差によって、先見の明が報われなかったにすぎない――そんな声も技術者たちから聞こえてくる。

さらに、片山氏が挑んだ堺工場の構想は、やがて台湾のEMS大手・鴻海精密工業(ホンハイ)との資本提携へと繋がり、シャープ再建の一助にもなった。日本企業のグローバル提携の先駆けともなったその動きは、今の日本企業が直面するグローバル戦略の在り方を考える上で、大きな示唆を与えている。

晩年の片山氏は、母校・広島大学での後進育成にも携わった。技術者としての経験を次世代に伝えることを使命とし、講演会などで日本の製造業の将来について積極的に語っていたという。その姿勢は、単に一企業人としてではなく、日本の産業界全体に対する献身の現れだった。

2024年、片山氏の死去を伝える報に際し、SNSや業界関係者の間で追悼の声が相次いだ。過去の失敗を持ち出すよりも、「あの時代に、あれだけ果敢に挑戦できたリーダーが他にいただろうか」とその勇気を称える声も多かった。

液晶技術という、かつて日本の先端を担っていた分野にすべてをかけた片山幹雄氏。その人生は、成功の裏にある失敗、栄光と影のコントラストを象徴している。また、その歩みは、現代を生きる我々に、「失敗を恐れず挑戦することの尊さ」と、「技術と経営の融合の難しさ」という二つの課題を改めて示している。

片山氏が信じた「技術立国・日本」の未来。その志は、今、変革の時代に生きる我々にこそ、受け継がれるべき灯火なのである。