2024年6月、プロ野球界に大きな変化の兆しを感じさせるニュースが報じられた。東京ヤクルトスワローズの名将、髙津臣吾監督が今季限りで退任する意向であることが複数の関係者から明らかにされたのだ。リビングレジェンドとも言える存在である髙津監督の決断は、球団にとってもファンにとっても大きな転換点となる。彼のこれまでの軌跡を改めて振り返りながら、この決断の意義を深掘りしてみたい。
髙津臣吾(たかつ・しんご)は1968年東京都生まれ。帝京高校時代から頭角を現し、亜細亜大学を経て1990年にドラフト3位でヤクルトスワローズ(当時・ヤクルトスワローズ)に入団した。独特のサイドスローを武器に、プロ入り当初は先発投手だったが、次第にリリーフに転向。その持ち前の制球力と勝負強さで抑え投手としての地位を築く。
1993年、名将・野村克也監督の下で本格的なクローザーに定着した髙津は、その後の球団黄金期の中核的存在として活躍。当時の「ID野球」を支えた要の一人であり、絶対的守護神として数多くのセーブを挙げた。1993年、1995年、1997年、2001年と、日本シリーズ優勝に貢献し、特に1997年には最優秀救援投手を獲得するなど、その実績は押しも押されもせぬものだった。
国内での成功にとどまらず、髙津は2004年にはメジャーリーグ・シカゴ・ホワイトソックスに挑戦。メジャー1年目で防御率2点台を記録するなど、日米野球の違いに柔軟に適応する能力を存分に発揮した。その後韓国プロ野球(KBO)のウリ・ヒーローズ、そして台湾プロ野球(CPBL)の統一ライオンズでもプレー。「四か国で抑え投手を務めた男」として、まさに国際派のプロ野球選手という新たな道を示した稀有な存在となった。
選手生活を終えた後は、2018年からヤクルトの二軍監督に就任。若手選手の育成に尽力し、2020年からは一軍監督の大役を任された。コロナ禍での難しいシーズンを乗り越えながらも、2021年には日本シリーズに進出し、オリックス・バファローズとの激闘を制して球団20年ぶりとなる日本一へと導いた。さらに2022年もセ・リーグを連覇。短期決戦では惜しくも敗れたものの、強さと若さが融合した新生スワローズの礎を築いた。
だが、2023年以降、チームは急速に失速した。主力選手の度重なる離脱、新戦力の不調、そして采配への批判も高まる中、髙津監督は沈黙を貫きながらもチーム再建に努めた。2024年シーズン現在、チームは最下位に沈んでおり、今後の立て直しのめどが見えづらい状況となっている。そんな中での「今季限りでの退任表明」には、長年にわたりスワローズに身を捧げてきた彼なりの覚悟と責任が込められていることは間違いない。
退任の決断について、球団からの正式発表はまだなされていないが、複数の報道によれば、髙津監督本人の意向が強く反映されたものとされる。選手として、そして監督として、実に30年以上にわたって球団と歩みを共にした髙津臣吾という存在の重みは、ヤクルトという球団史そのものと言っても過言ではない。「タカツ、ここにあり」。その名を知らしめた幾多の試合でのマウンドさばき、そして幾度となく導いた勝利――彼の後ろ姿に、ファンは自然と感謝と敬意を込めて拍手を送ることだろう。
各チームにはそれぞれ“顔”と呼べる象徴的存在がいる。長嶋茂雄が巨人なら、山本浩二がカープであり、梨田昌孝が近鉄であったように、髙津臣吾は間違いなくヤクルトの顔であった。その彼がひとまず第一線を退くことは、新たな世代へのバトンパスを意味する。次期監督には、OBを含めた複数の候補が取り沙汰されているが、髙津が蒔いた「勝利の種」は着実に球団内に根付いており、これから花開く時をじっと待っているに違いない。
また、髙津監督の退任はプロ野球全体にとっても一つの節目になる。四か国でプレーした稀代のグローバル選手であり、その経験をベースにした柔軟で理論的な指導法は、多くの若手指導者にも影響を与えてきた。「選手目線」「監督目線」「海外視点」この三視点を持つ彼だからこそ見えるリーグの在り方、日本野球の未来像に関しても、今後は外部からのアドバイザー的立場として活躍してくれることが期待される。
髙津臣吾という人間は、単なる野球人にとどまらない。「常に誠実でありたい」「勝ち方に意味を求めたい」そう語っていた彼の哲学は、スコアの数字だけでは計ることのできない価値を球界にもたらしてきた。彼の退任は寂しくもあり、同時に胸が熱くなる。
監督としての功績はもちろん、引退後の新たな役割にも注目が集まる。もしかしたら将来、それは再びユニホームを着る日なのかもしれないし、あるいは球界改革の旗振り役として第2の舞台を歩むのかもしれない。いずれにせよ、「髙津臣吾」という名が、これからの日本野球から消えることは決してないだろう。
ひとまずはその勇退を、心から労いたい。そしてまたいつの日か、髙津監督が神宮のグラウンドに帰ってくる日を、ファンは心より待ち望んでいる。