2024年6月、長きにわたり指定暴力団・稲川会のトップとして君臨した清田次郎(本名・金澤成蔵)会長が死去しました。享年75歳という歳月を重ねた清田会長の死去は、暴力団業界のみならず広く社会に大きな影響を与えるニュースとして報じられています。
本記事では、清田会長の経歴を振り返るとともに、稲川会という組織の歩み、近年の暴力団を取り巻く環境の変化、そして今後の見通しについて、できるだけ多角的かつ中立的な立場から考察します。
稲川会とは何か
稲川会は、戦後の混乱期に形成され、数度の拡大・統合をへて現在に至る、日本国内を拠点とした指定暴力団です。関東を中心に強い影響力を持ち、国内で2番目の規模を誇ると言われていました。
同団体は、名称にも由来する山口組など他組織とは異なる独自の運営方針や規律を敷いており、一貫して経済活動との結びつきを重視して組織運営を行ってきたとされています。そういった背景も含め、「暴力団=抗争・武力」というイメージとは一線を画す部分もありました。
清田次郎会長の足跡
清田次郎会長は、稲川会第6代目の会長として2011年に就任しました。それまで長らく副会長職につき、組織内で緻密な調整力とリーダーシップを発揮してきた人物です。穏やかな性格と評される一方で、組織の意志決定には妥協しないという姿勢でも知られていました。
彼の就任時は、暴力団排除条例が全国に拡大施行されるというターニングポイントの時期でした。法的規制がより一層強化されるなか、清田会長は組織の生き残りをかけて慎重な舵取りを行いました。目立った抗争を避け、経済的基盤を維持する方向へとシフトする動きが見られたと言われています。
近年は高齢化や後継者問題にも直面しており、稲川会内部では慎重な後継体制づくりが進められてきました。事実、清田会長の死去に先立って新たな体制準備が進められていたと見られ、混乱を避けるよう意識された形跡もあると報じられています。
社会と暴力団の関係性の変化
暴力団を取り巻く環境は、この20~30年で大きく変化してきました。1991年の暴力団対策法制定以降、全国各地で反社会的勢力に対する法的・社会的締め付けは強まり続けています。2010年以降に施行された暴力団排除条例では、一般市民や企業までもが「反社会的勢力との付き合いを断つ」ことを求められる時代となりました。
これにより、従来であれば表裏一体の関係性も存在していた暴力団と一般社会の接点は、急速に狭まりました。金融機関からの口座開設拒否、企業との取引禁止、公共施設の使用制限など、暴力団員の「生活面」からの締め付けも日常的なものとなり、その存在意義自体が国策によって徐々に薄められてきたのです。
こうした背景もあり、若い世代を中心に暴力団に入る人々の数は年々減少の一途を辿っています。警察庁の統計によれば、2023年時点で暴力団構成員数は戦後最少を記録しました。長年トップとして組織を支えてきた清田会長も、こうした困難な時代のなかで、消極的ながらも組織の存続を模索してきたといえるでしょう。
後継・次代体制への注目
稲川会という巨大組織のトップが亡くなったことは、今後の組織運営に大きな影響を及ぼすことが予想されます。すでに後継者に関する議論などは内部で進められていたと見られますが、報道ではまだ正式な次期会長の名前は明らかにされていません。
これまでの慣例から考えれば、幹部層から順当に後継者が選出される可能性が高いと考えられますが、それ以上に注目されるのは新体制がどのような組織方針を打ち出すかという点です。今後もより一層厳しくなるであろう反社会的勢力への社会的圧力を前に、躍進よりも「持続可能な縮小」といった選択肢が議論される可能性もあるでしょう。
暴力団という存在との向き合い方
清田会長の死去に際して、SNSやネットメディア上では様々な反応が見受けられます。中には過去の映画などを通して「カリスマ性」に言及する声もありますが、現代社会においては、どんな背景や歴史を持ったとしても法律を逸脱する存在が正当化されることはありません。
一方で、暴力団の歴史を通して、都市部の再開発や震災後の復興支援などに関与した側面があったことも事実です。こうした過去の記録を振り返ることなく、ただ一方的に存在を否定し続けるだけでは、社会から盲点が生まれる恐れもあるのではないでしょうか。
今後求められるのは、「暴力団は排除すべき存在である」という基本認識を持ちつつも、なぜそれが存在してきたのか、またどのように衰退へと向かっているのかを冷静に観察し、その過程から私たちが何を学び社会に生かせるのかという視点です。
おわりに
清田会長の死去は、ひとつの時代の区切りを象徴する出来事であるといえるでしょう。暴力団の持つ暴力的・反社会的な側面とその歴史的背景を複眼的に捉えることで、より良い社会の在り方を模索し続けたいものです。
最終的に私たちが目指すべきは、どのような思想や背景を持つ人々であっても、法の下で平等に、安心して暮らせる社会の実現です。今回の報道を通じて、暴力団という存在を単なる「ニュース」にとどめず、社会と向き合う一つの契機として考えていくことが今、求められているのではないでしょうか。